僕は扁桃腺が弱い

ホームレス寸前からのでんでんでんぐりがえし

障碍者に説教して気持ちいいかい?~責める阿呆に庇う阿呆~

はあちゅうさんが更生して、何になるというのだろうか?

 

<マクロな視点>から、もっと大切なことはないだろうか?

 

もっと憤るべきことがあるのではないだろうか?

 

パチンコは賭博なのではないか?

もしかしたら、ソープランドでは売春行為が行われているのではないか?

なぜ見てもいない・勝手に作られた番組を放送する会社にお金を払うのか?

 

隣の芝生が青いと嫉妬するくせに、

よりよいガーデンにするための、アドバイスをしたくなる。

 

人間だもの。

 

恐怖を忘れるにはやっぱり興奮だね

 

毎年いろいろあるけど、特に今年はいろいろあった。

 

ベッキーの卒論の内容は、もう誰も気にしない。

私事だと、「藤吉久美子の不倫」というワードに今年一の興奮をした。

 

やっぱり恐怖を忘れるためには、それを超える興奮が必要だ。

 

ゴシップ誌という存在は、

醜い人間が書いて、醜い人間が読むものであり

 

同時に、書く人・読む人が目の前の恐怖から逃れるための

「優しい紙の集まり」なのかもしれない。

 

みんな正義感が強いんですね(笑)

 

ホームレスに陥りそうな恐怖に対抗するために、僕は怒りを利用した。

みんなもそうだろ?

 

退屈しのぎでもある。みんなもそうだろ?

 

で、最後の最後に、はあちゅうです。

 

あまりにも小物。

オチとしては、弱い。

 

だけど、思いの他反応していること人が多いことに驚いた。

 

童貞とかセクハラとかどっちもどっち

 

個人的なもの・読まなきゃいい

 

とか、「いまさらですか?」と。

 

この騒動で本当に醜い現象は、はあちゅうを利用して
自分の弁(便)を述べている人の多さだと、僕は思うのです。

 

責める阿呆に、かばう阿呆

 

この騒動から学ぶべきこととしては、

本当の屑はよっぴーとか、池上彰みたいな顔をしているんだと言うことでしょう。

 

発信する前に言ったんですわって、和田アキ子かって

 

「あの人は今」も燃え続けていた

 

はあちゅうで終わるのは煮え切らない、と憤る僕は

「中出しファンディング」で燃えていたあの人の話題を受信しました。

 

まだまだ、頑張っているようです。

 

やっぱり僕は、キチガイを見ると安心する。

 

心配してるんだよ

 

僕は、曲がったことが大嫌いであると同時に

痛い人間が大好きで、実際に見ると本当に心が痛くなる。

 

どうにかしてあげたいと思う。

自分が一番気持ち悪い人間だ。

 

でね、みんな一回「発信」をやめろ。

 

ぷろぶろがーの方々は、総じて人格障害の症状が見られますが

その症状を肯定するために、ツイッターとかブログとかは最適です。

 

いろいろな意見が寄って来る、とみせかけて

「見たいものだけ見る」という状態に陥りやすい。

 

一度、本当に取り上げた方がいい。

 

人格障害の人というのは、自分を肯定したくて仕方がないんです。

 自分がキチガイかもしれない、という恐怖を常に持っている。

 そういった人に、正論を述べてしまうのは残酷だ。

 

はあちゅうさんや、プロブロガー諸君に対して

何らかの説教を述べるということは

電車の中で「あ~う~」と言っているお友達に対して

「電車の中では、静かにしなさい」と言っているのと同じではなかろうか?

 

胸糞悪い人間に正論を述べる人間は、もっと胸糞悪い。

 

もちろん、胸糞悪い人間をかばう人間ももっと胸糞悪い。

 

結局、みんな胸糞悪い。

初体験でイっちゃいました。~俺は剛ではないが、正直しんどい~

生きてます。

 

家に住んでいます。

 

このブログはホームレスになる危機が現実化してきたことを機に始め

「カウントダウン」スタートの、メモリアル的な作品でもありました。

 

当初は「あと、もって4、5か月かな?」というとことろが現実的な予想であり

それは、クレジット・サラ金を全開で駆使したと過程した結果です。

 

当時は生きる気力の無さが、マックスになった状態であり

限界まで借りて、旅行して、いいとこあったら吊ろうかな?くらい考えていました。

 

「それもあり」でした。

 

しかしながら、予想に反して、日に日に状況はよくなっていきます。

 

アフィリエイト」が、うまくいきはじめたのです。

 

火を噴きました。

 

と言っても、ギリギリ生活できるくらいですが。

 

借り入れの返済を含めたら、ちょっと厳しいレベルですが

新たな希望が生まれたことは、間違いありませんでした。

 

で、昨日からの変動です。

 

古参どもの言うところの、「うご」です。

 

そして、目が覚めました。

 

本当にオッケーなのかい?グーグル

 

俺様が取り組んでいるアフィリエイトは、

「検索結果」というものに依存しています。

 

これはもう、間違いない。

 

ついったーとか、いんすたとか、「SNS戦略」と呼ばれる手段はあるものの

基本的には、SEOってやつが何よりも重要になります。

 

「買おっかなー」と考えて、検索した人が目を通すためには

検索結果の1ページ目にあることが大切で、そのための努力が業務でもあります。

 

アフィリエイトについて詳しくはこちら(うぃきぺでぃあに飛びます)

 

検索結果というのは、日々変わります。

 

「いいものが検索者の目に入るように」しているらしいです。

 

そして先日、大規模な検索結果の変動があり

僕(多数の人)のサイトが消滅しました。

 

簡単に言えば、徐々に客が集まり始めた店舗が一瞬にしてなくなりました。

 

なくなったというよりも、

 

やっと原宿にオープンできた洋服屋を、裸族の村に強制移動させられた感じです。

 

理想と私怨は同罪じゃないか?

 

そもそも、ネットだの、SEOだの、僕はそれほど興味のなかった分野ですが

ある程度の知識・経験から、ビッグブラザーことグーグルは

「利用者が利用しやすいサービス」を提供しようとしているらしいです。

 

で、いいかげんな情報をまき散らしている

いわゆる「アフィリサイト」が、軒並み落ちるような

アップデートをリリースしたと考えられている?ようです。

 

ペーペーの僕が、技術的なことを語っても仕方がありませんが

「その結果」というのは、誰が見てもひどいことになっています。

 

まだアフィリサイトが、ぽろぽろ見られる検索結果の方が

利用者にとっても、メリットが大きかったはずです。

 

自分達の潔癖から出た衝動を、利用者のメリットという

大義名分に変えて押し付けるのは、いかがなものかと。

 

僕は思います。

 

本当にオッケーなのか?と

 

お前はこうなりたいんだろう?

 

というのは、

 

俺はこうしたやりたい、という意味でもあるはずです。

 

諸行無常・恥ずかしい人間を浮き彫りにしたメリットも

 

とは言っても、僕が本当に悲しいのは

「僕の収益」が減ってしまったことです。

 

自分の被害が、一番悲しいです。

 

アフィリエイトというのは、ある程度努力が反映されるものであり

ちょっとしたスパイス(ブラック含む)で、ハッピーになれるものであり

努力や工夫のしがい、また運の要素も面白いものでした。

 

 

これらは、全て幻だったことが分かりました。

 

サイトを上位表示させるめの方法は、日々議論されており

そのためのうんちくを、一日中ぶつぶつつぶやく人もいました。

 

ユーザーファーストだの、サイト設計だの。

 

「それっぽいこと」言ってるパイセンども

 

所詮、勘違いということが分かりました。

 

お上のご機嫌1つで、なんとでなってしまうのです。

 

つまり、 戦うべきは、隣人ではなく、グーグルです。

 

スペルス乳腺って何ですか? 

 

ここまでの「大変動」は、僕がアフィリエイトを始めてから 始めての経験でした。

 

もしかしたら、初体験で終わってしまうかもしれません。

 

かなり厳しいです。

 

カウントダウンの針が、また動き出しました。

 

でも、意外と心は折れていません。

 

今日はウィンナーを、お腹いっぱい食べました。

 

美味しかったです。

努力よりもパチンコをするべき人間が存在する~コン猿よりもパチンカスが優れている69個の理由~

人足仕事には、いわゆる「底辺」の人々が集まります。

 

僕もなかなか低いレベルで安定した人生ですが

下には下がいることを学ぶ、かけがえのない日々を過ごさせていただいています。

 

「気付き」の多い毎日の中で、見えてくる傾向があるのですが

先進国の底辺の人々は、炭水化物とギャンブルが好きなようです。

 

「やよいけん」への訪問を生きがいにしている人、

そして、やはり「パチンコ」が好きな人が多いことに気付きます。

 

パチンカスとも呼ばれることもある、彼らの議論はそれは熱いものです。

 

パチンコが好きだから底辺なのか、

底辺だからパチンコが好きなのか、

 

そんなことは、置いておいて、

 

実は彼らこそ、「効率」を徹底的に求めている存在

パチンコ通いは、その結果としての神聖な行動なのではないか?

 

そう思うことも、増えてきました。

 

「どこに座るか」やんって思っていた時期が僕にもありました

 

個人的なことを言えば、もともとギャンブルは好きなんです。

馬はかわいいし、情熱を注ぐ価値はあると。

 

正確には計算していませんが、「勝ち越し」しています。

ありがとうございます。

 

しかしながら、競馬が好きな一方で

パチンコをやる人間は、非常に愚かだと思っていました。

 

他人が打った釘

他人が設定した確率・出玉

お金を入れて手首をひねる

 

何が楽しんだろう?って。

 

ギャンブルですらない、

 

「自国に向けられたミサイルの開発のための寄付」

 

ただそれだけのために、時間を使う。

 

「どこに座るか」という、要素しかない「遊戯」という名の自傷行為

 

ギャンブルってーのは、

競馬・ポーカー・ブラックジャックとか

研究だけでも、思考だけでも、運だけでも勝てない

そんな部分に、ロマンがあるんじゃないかって。

 

脳みそが少ない人ほど、政治の話が好きなようですが

パチンコしながら、北朝鮮問題を語る人とかも多いじゃないですか。

 

やっべーなって。

 

でも気づいてしまったんです。

彼らは「ひねった手首の向こう側」にしか、希望がないってことに。

 

努力する意味がない・価値を置かない・置く意味がない人々

 

彼女は言いました。

 

「努力は必ず、報われる」と。

 

そんなわけないのは、誰もが知ることです。

 

コン猿は言います。

 

コンセンサスをリスケすることこそ、真のコミットだと。

 

要は、

「建設的な行動を積み重ねることで、人生は素晴らしいものになる」

そういった概念が、国家の犬こと、先公どもを中心に布教されているのです。

 

しかしながら、生まれた時から石油が沸いている人もいることと同時に

生まれながらに、パチンコを打つことが最大のコミットである人間もいます。

 

「建設的な努力」とは、

イチローにとっては、素振りであり

春樹にとっては、パスタをゆでることであり

鶴太郎にとっては、ヨガであり

 

そして、「生まれ」が残念な人にとっては、

パチンコ台の前に座り、手首をひねることなのです。

 

「ぱわぽ」とか、「といっく」とかよりも

「パチンコ必勝ガイド」の発売日が重要な人間もいる。

 

ベストなデシジョンとしての、パチンカス。

ここは地獄でしょうか?

 

あと「ちゃんと台を見れば勝てる」という人もいるみたいですけど

そういった人にとっては、パチンコはギャンブルではなく、仕事です。

 

ご苦労さまです。

お体に気を付けて、頑張ってください。

 

 

おわり。